北杜市の概要
北杜(ほくと)市は、平成16年(2004年)11月に、山梨県北巨摩郡に属していた7町村の合併により発足しました。
山梨県の北西部に位置する北杜市は、北は八ヶ岳連峰、南西は甲斐駒ケ岳から連なる南アルプス、東は茅ヶ岳、北東は瑞牆山などの日本を代表する美しい山岳景観に囲まれています。市の面積は、山梨県下で最も広大な569.75平方キロメートルを有し、清らかで豊富な水資源、高原性の気候、日本で一番長い日照時間、歴史的な街並み、滞在型温泉地など、豊かな資源に恵まれたまちです。
北杜のあゆみ
北杜市は、平成16年(2004年)11月に、山梨県北巨摩郡に属していた、明野村・大泉村・須玉町・高根町・長坂町・白州町・武川村の7町村が合併して発足しました。
北杜全域にわたり、縄文時代の遺跡が多数発見されています。その数が多いことから、八ヶ岳の南西から東南の一帯は「縄文の回廊」と呼ばれるほどで、一大文化圏を形成していたものと考えられています。
平安から中世にかけての遺跡は、北杜氏高根町の東側から西側、特に海抜700メートル前後のところに集中しています。このころは武士集団が活躍していたということが分かっています。その後、律令制度が確立したことにより、全国は畿内・七道の行政区にわかれ、その下に国・郡・里(のちの郷)が設けられました。甲斐国には山梨・八代・巨摩・都留の4郡がありましたが、このうち、巨摩郡は9郡からなっており、現在の高根町域は、ここに属していました。武田氏の滅亡後、徳川氏に仕えた屋代越中守勝永は、慶長19年(1614年)、巨摩郡に領地を拝領し、寛永9年(1632年)まで、子・忠正の2代にわたり、上神取に館を構えました。
江戸時代は各地に村が誕生します。村は農民生活の基盤であり、行政単位でもありました。名主や長百姓を中心に共同体を結成し、その形は現在の地域社会へ受け継がれています。江戸時代半ばには、村社会が安定し、農民の暮らしに余裕が生まれると、今度は村と村の間で権利闘争が起こるようになりました。その代表的なものが、入会山論争です。茅ヶ岳や金ヶ岳への入山の権利をめぐって、訴訟が繰り返されました。この江戸時代の暮らしは、昭和30年代まで続く、伝統的な農村文化の原点となりました。
平成16年(2005年)に北杜市が誕生するまで、それぞれの町村内でも明治初期から昭和30年代にかけて合併編入を重ねていきました。合併後の現在では、数多くの観光スポットや、恵まれた自然に触れるため、多くの人々が訪れています。また、映画やドラマのロケ地として使われる事も多く、注目度も高まっています。市の将来都市像である「人と自然が躍動する環境創造都市」を目指し、地域交通ネットワークの整備、情報基盤の整備、環境・景観に配慮したまちづくり、農業と他産業との連携などに取り組んでいます。
北杜の名前の由来
北杜市の名前は、合併にあたり、公募を通して決まりました。「杜」は“森”という意味や、山野に自生するバラ科の果樹の一種“やまなし”を意味しています。従って、「北杜」は北のやまなし、すなわち山梨県の北部を意味しています。
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| 北杜の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
北杜市埋蔵文化財センター・明野歴史民俗資料館 |
| 住所: |
〒407-0204
山梨県北杜市明野町上手8310 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0551-25-2019 |
| 開館時間: |
9:30〜17:00(入館は16:30まで) |
| 休館日: |
月曜日(休日の場合は翌日)、12月28日〜1月4日 |
| 入館料: |
一般個人200円、高校生以下無料
*団体20名以上100円 |
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